◇メジャー第1戦◇マスターズ 最終日(10日)◇オーガスタナショナルGC(ジョージア州)◇7510yd(パー72)
満面の笑みで両手を突き上げてから一年、松山英樹はグリーンジャケットを授与する立場になった。西日に強く照らされた表彰式。オーガスタナショナルGCのチェアマン、フレッド・リドリー氏から改めて昨年の偉業をたたえられると、スコッティ・シェフラーの背後に回り、袖を通させた。大会史上4人目の連覇はならなかった。
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2オーバーの13位から出た最終日は出だし1番で1mのチャンスを逃し、スコアを伸ばすべき2番(パー5)、3番でショートゲームにミスが出て2連続ボギー。難度の高い4番(パー3)、5番を連続バーディにする出入りの激しい展開になった。
「6アンダー、7アンダーくらいを目指して頑張っていた」という一日は5バーディ、5ボギーの「72」。通算2オーバーのまま14位で終え「何かきっかけがあればなと思ってやっていたが、4日間見つからなかった」と肩を落とした。
「マスターズに出られるんだろうか」。焦燥感に支配されたのが約1カ月前。3月初めのPGAツアー「アーノルド・パーマー招待」2日目に首から肩甲骨への痛みを訴え、戦線を離脱した。寝返りを打つたびに激痛が走るほどで、その後予定していた2試合に出場できなかった。復帰戦となった前週の「バレロテキサスオープン」は2日目に途中棄権。「今週は痛くてもやるつもりだった」と前年王者としての役目を果たすのに必死だった。
開幕2日前の恒例行事、チャンピオンズディナーでのスピーチにも備えるため、年明けから英会話の練習にも勤しんだ。メニューの和食も、会を締めくくる英語でのスピーチも好評で、夕食会の席は異例のスタンディングオベーションになったという。
コースでの準備は急ピッチだった。痛みが消えても、ショット、パットの状態はままならない。「ここに合わせようと思って、まともに1カ月くらいゴルフができなかった。体力的というよりは精神的にしんどかった」。それでも、ブルー、ピンク、グリーン、イエローと初日から最終日までのウェアは昨年の各日と同系色をそろえた。昨年宿泊したレンタルハウスに寝泊まりし、毎日「ごほうびに」と食べていた生のパイナップルも口にした。状態が万全でなくとも、“ゲン担ぎ”をしてでも勝つことにこだわる姿勢は変えなかった。
1年間、持ち歩いたグリーンジャケットはディフェンディングチャンピオンでなくなった今、オーガスタナショナルGCに返還した。クラブハウス内のチャンピオンズロッカーに収めなければならない。「ここに来れば僕は着られるので。皆さんには見せられないですけど」と笑った後、「またね、頑張って、外に持ち出しできるように頑張りたい」と続けた。挑戦はまた来年。再来年も、その先もアゼリアが咲くころにやってくる。(ジョージア州オーガスタ/桂川洋一)
松山英樹はグリーンジャケットを返還「また外に持ち出せるように」 - ゴルフダイジェスト・オンライン
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