智弁和歌山と智弁学園の決勝が決まり、両校で監督を務め、現在名誉監督を兼ねる高嶋仁氏(75)は万感だった。甲子園で2校の快勝を見届け「夢やった。現実となって、エラいことになった。学校をつくって、野球部をつくった藤田照清前理事長が望んでいたこと。天国で応援しているでしょう。(私も)涙をこらえとる」と感無量だった。

「智弁」の歴史を築いてきた。甲子園通算68勝は史上最多。72年に監督就任した智弁学園が原点だった。「指導者として第1歩をスタートさせてくれた。自分がつくったチームが、甲子園に行ったのが大きかった。『そうか、こうやったら甲子園に行けるんや』と」と指導の基礎を築いた。

80年から智弁和歌山に移り、94年センバツで初優勝すると、97年と00年夏は全国制覇した。18年の退任後は両校に助言する立場にある。「どちらを(応援)と言われると…。理事長に怒られる。両方です」と苦笑いだ。いまも監督目線は健在。夏の甲子園の頂点へしのぎを削る智弁和歌山の中谷監督と智弁学園の小坂監督を、それぞれ評した。

◆中谷監督 プロでやってきたことをいい方に生かしているんじゃないか。選手の使い方とかね。プロは自主練というか、自分でしっかり練習して上がってこいというか。そういうのをうまく使ってやってます。

◆小坂監督 大学、ノンプロに行ったことを生かしながらやってますね。選手に「頼むで」という感じで引っ張っているのは小坂監督かな。

決勝中、そして決勝後。どんな表情を浮かべるのだろうか。【酒井俊作】

◆高嶋仁(たかしま・ひとし)1946年(昭21)5月30日、長崎県生まれ。海星(長崎)で外野手として夏の甲子園に2回出場。日体大卒業後、72年から智弁学園監督、80年から智弁和歌山監督。94年春に甲子園で初優勝し、その後97年、00年夏に全国制覇。18年8月で退任し、同校と智弁学園の名誉監督に就いた。主な教え子は日本ハム西川遥輝ら。両校を合わせた甲子園通算成績は68勝35敗。