<陸上:東京五輪代表最終選考会兼日本選手権>◇第2日◇25日◇ヤンマースタジアム長居◇男子100メートル決勝
男子100メートル決勝で多田修平(25=住友電工)が初優勝し、東京五輪切符を得た。追い風0・2メートルの条件下、10秒15を記録。5年前のリオデジャネイロ五輪時は無名だった男が、初五輪で32年ロサンゼルス大会の吉岡隆徳以来、89年ぶりの決勝進出を誓った。3位山県亮太(29=セイコー)も五輪内定し、参加標準記録を突破済みの4位小池祐貴(26=住友電工)も決定的。2位にデーデー・ブルーノ(21=東海大)が入り、桐生祥秀(25=日本生命)は5位、サニブラウン・ハキーム(22=タンブルウィードTC)は6位となった。
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夢に向かい、無心で走った。雨上がりのトラック。得意の前半で多田は先頭に出た。史上最高レベル、0秒01の差で運命が変わる決勝。山県が並びかけ、ライバルが追ってきた。「正直あまり記憶がなくて…。ずっとゴールだけを見て走りました」。フィニッシュラインを走り抜け、右拳を上げた。手をたたき、跳びはねた表情は、笑顔だった。
「僕は2位とか、4位の選手だった。こういう大きな舞台で1位を取れて、うれしい気持ちで一杯です」
地元大阪の会場が拍手に包まれ、涙がほほを伝った。
リオデジャネイロ五輪を控えた5年前、日本選手権は準決勝敗退。10秒55で組内の8人中最下位だった。当時は東大阪市の実家から地下鉄、阪急電車を乗り継ぎ、1時間半かけて兵庫・西宮市の関学大へ通っていた大学2年生。五輪を意識もしていない立場だった。
そのオフ、大阪陸上協会の支援で行われた米国合宿。初めて海外で試合に出た。「僕は細身。周りは2~3倍あるので不安も、抵抗もあった。でも1度経験したら、怖いイメージがなくなった」。自分の中でのリミットが外れた。17年6月に追い風参考ながら9秒94を出し「そこで五輪を意識し始めた」。わずか1年で日本選手権2位、世界選手権(ロンドン)400メートルリレー銅メダルと躍進。期待と重圧を同時に背負った。
後半の失速を克服したい-。翌18年から変化を求めた。得意の序盤でピッチを抑え、最高速度地点をやや後半に持っていく意識に変えた。だが、左右のバランスは崩れ、足元のラインを何度も踏みそうになった。注目される中で足踏みが続き「試合に行きたくないと思った」。笑顔が減った。
17年に記録した10秒07の自己記録更新は、今月6日だった。今季はウエートトレーニングのみの日を設け、変化しつつ、自称「バネバネしい走り」を求めた。
前日24日に25歳となり「最高の誕生日プレゼントになった」と喜んだ。だが、真の復活と思っていない。
「2017年以上の走りを目指している。この決勝の走りでは、世界のトップに勝てない。もっと練習を積み、地力をアップさせて、五輪のファイナリストになりたいと思っています」
日本一の男として、今度は国立で笑う。【松本航】
多田修平(ただ・しゅうへい)
◆生まれ 1996年(平8)6月24日、大阪・東大阪市
◆競技歴 石切中(東大阪市)で陸上と出会う。大阪桐蔭高、関学大を経て、19年春に住友電工入社
◆成績 17、19年世界選手権400メートルリレー銅メダル、18年ジャカルタ・アジア大会金メダル。100メートルの自己ベストは10秒01(21年6月、布勢スプリント)
◆趣味 カメラ。関学大時代のお気に入りの1枚は「(大阪の)十三から撮った梅田の夜景です」
◆座右の銘 努力
◆好きな食べ物 すし、スイーツ、肉
◆家族 両親と弟
◆サイズ 176センチ、66キロ。足は27・5センチ
◇選考方法 1位の多田、3位の山県はともに参加標準記録(10秒05)を突破済みで、「3位以内」に入ったため2人は代表に決定。2位のデーデーは参加標準記録をクリアできておらず、世界ランキングでの出場資格にも遠く届いていない。そのため日本選手権で「3位以内」には入ったが、100メートル代表にはなれない。残る1枠は参加標準記録を突破した選手の中から、日本選手権の上位順で選ばれるルール。そのため4位の小池が決定的で、1種目最大3人までの条件から、5位の桐生、6位のサニブラウンは落選となる。
男子400メートルリレーについては、日本選手権が選考上「最重要選考競技会」と位置付けられている。100メートルの代表選手に加え、200メートルの代表選手との兼ね合いになるが、デーデーが代表入りする可能性も十分。また「特性と戦略を考慮」して選考するとされており、桐生やサニブラウンの可能性も残っている。
涙の多田修平 変化求め「バネバネしい走り」で100m初V 東京五輪切符 - ニッカンスポーツ
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